2024/4/29 Mon 00:27
森進一「おふくろさん騒動」で大物作詞家の川内康範氏を激怒させた「三文芝居」の劇的結末!★壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史…の巻





話題:芸能ニュース







古今東西、エンターテインメントの世界では1曲の歌を巡り、それを作った作家と、歌う歌手との間でトラブルが起こることはままある。

しかし、ここまでこじれたケースは稀だったのではないか。

連日、世間を騒がせたのが、作詞家の川内康範氏と歌手・森進一との「おふくろさん騒動」だった。



コトの起こりは2006年の大みそか、NHK紅白歌合戦で森が歌った「おふくろさん」だ。

この名曲に森が、オリジナルにはないパートを付け加えて歌ったことで、作詞した川内氏が激怒。

翌年2月には、著作権侵害だとして「もう、森にはこの歌を歌わせない」と「おふくろさん」の歌唱封印を通告したのである。

ただ、森自身は当初、歌い出し部分の変更は事務所主導で行われたことであり、「謝る理由はわからない」と発言。

ところがこの発言が2人の関係をさらに悪化させ、森は川内氏が書いた33曲全てを封印せざるをえない状況に追い込まれた。

そこで森は川内氏に直接謝罪するため、青森県八戸市にある同氏の自宅を訪ねるが、あいにく留守。

そこで家人に「とらや」の羊羹と手紙を託した。

翌日のスポーツ紙とワイドショーが、この「八戸訪問」を一斉に報じたことで、今度は事前に訪問をマスコミに知らせていたことに対して「三文芝居もほどほどにしろ!」と、さらに川内氏の怒りを増幅させる結果になってしまうのである。←予め芸能マスゴミにリークしておく抜け目のない森進一!( ̄ー ̄)



騒動から1年後の2008年4月6日、結局、川内氏は和解しないまま、この世を去った。

ところが、08年9月、森にとって青天の霹靂となる事件が起こる。

なんと、川内氏の長男で弁護士の飯沼春樹氏が「川内は怒りの拳を下ろすタイミングを失って、亡くなった。成仏してもらうためにも、封印を解きたい」との思いから和解に向けて動き出したのだ。←森の事務所が水面下で動いたのだろう!( ̄ー ̄)

そして10月31日、森が「33曲とも原曲通りに歌う」という合意書に署名することで、電撃的和解が成立。

11月6日に、飯沼氏と共に記者会見に臨んだ森は、

「嬉しいというよりも、ありがたく重く受け止めている。これまで以上に心を込めて歌いたい」

神妙な面持ちを見せたが、解禁のタイミングについては「全く決めていない」と明言しなかった。

そんなこともあり、この5日後に都内で行われた森のコンサートには筆者も含め、芸能マスコミが大挙して詰めかけた。

いつもなら二つ返事で取材OKの事務所が、この日はなぜか取材NG。

結局、筆者もチケットを購入して、客席から取材メモにペンを走らせたものである。

かつて報道陣の質問に対し、「三文芝居の片棒を担ぐお前らの質問には答えない」と厳しい口調で語った川内氏。

この顛末、向こうの世界からどんな思いで眺めていたのだろうか。

(アサ芸プラス発)









とらやの羊羮で釣れるものか!

川内康範を舐めるな、森!(ノ`△´)ノ

あと、森進一は自分の母親にDVをするようなやつだった。

その噂を耳にした川内康範は、森には「おふくろさん」の歌は相応しくないと思っていた。

そんな矢先の「おふくろさん」替え歌騒動。

川内康範の怒り大爆発!

これ幸いと、森から「おふくろさん」を取り上げた。

自身が死ぬまで取り上げた。

川内康範が今でも生きてりゃ、森進一は今でも歌えない。はず。

それだけ、森進一には怒り心頭だった。

更に、この騒動で森進一に手を差し伸べる芸能関係者は誰もいなかった。

森進一の人望のなさが、森進一を孤立させた。

普段が悪すぎるんだよ、森進一!(# ゜Д゜)

森昌子にも当たり散らすし、ろくなもんじゃないよ!

滅べ!( ̄□ ̄;)!!



ブー(^0_0^)



(^^)/(^^)/









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