よりそっていたいぬくもり
こいしい君のやさしさ
ふくらんでいく待ち遠しさに、もう少しといいきかせ、
君の笑顔にくちづける時をまっていた。
ただいま、おかえり、あとちょっと
「古代、古代、私の古代。今、帰ったよ。今日は二人で――……おや?」
喜色満面でドアを開け、デスラーは甘やかな微笑みを素の顔に引っ込ませた。愛する妻が穏やかな笑顔で「おかえり」と迎えてくれる―――仕事を終えた後の最も心安らぐ瞬間を今日も夢見て、幸せは溢れんばかり。しかし、どうやら今日はいつもと勝手が違うらしい。
古代の部屋のリビングは静かだった。人の気配は無く、照明は落とされている。帝都を一望できるパノラマから差し込むはずの夕陽の斜光は、あいにくの曇り空で暖かさが遮られ、かえって部屋の薄暗さを引き立ててていた。古代? 呼び掛けるも返事はなく、ひとまずデスラーは明かりを付けた。壁に取り付けられたテロン仕様のパネルを押すと、パッと光が部屋に満ちる。リビングや古代の書斎、寝室などを見て回るが、自分を迎えてくれる可愛い笑顔はどこにもない。
古代、君は一体どこに……。いつもあるはずの姿がいないことに、徐々に不安を抱き始めたデスラーの指先が、妻の所在を臣下に確認しようと懐の端末に伸びかけた。その時、リビングに戻ったデスラーは壁に掛けてあるヤマトのカレンダーに気が付いた。ヤマトの勇壮な艦体の写真の下には今月のガミラスの暦が刻まれている。今日の日付には古代の字で、
『夕方から講義の補習』
と、走り書きがしてあった。
その真新しい筆跡に覆い被さるように、昨夜の夕食での古代の言葉が脳裡に甦った。
――明日は社会の補習があるんだ。
――帰りが遅くなるから、先に部屋でゆっくりしてて。
そういえば、先週に行われた外出先での公務が予想以上に長引き、社会学の講義が延期になっていたことを話していた。そうデスラーは思い当たる。
テロンから迎え入れてまだ幾ばくも無い古代は、新たな祖国となったこの星のことを学ぶべく、公務を行う傍らで多くの時間を勉学に費やしていた。一般的なガミラス人が身につけている知識だけでも覚えることは膨大だったが、その上さらにガミラス総統妃として相応しい教養を備えることが古代には求められていた。公務と勉学との両立を図るべく、官僚と教師たちの話し合いによって毎日の公務のスケジュールと勉学のカリキュラムが組まれていたが、公務によってはスケジュール通りに運ばれず、授業時間に食い込むものもあった。そのような場合、行われなかった授業が一日の終わりに補習となって現れるようになっていた。今頃、古代は教師の講義に四苦八苦しながら頑張っていることだろう。
――となると、今日は私が先に帰ってきたことになる……。
デスラーは頤(おとがい)に指を沿わせ、この状況をふむと納得した。
このテロン様式の部屋を新居として、夫婦は幸せな生活を営んでいた。総統のプライベートエリアであった内殿は、正妃を迎え入れるにあたって大幅に拡張され、デスラーの居室の隣にお妃のための広大な区画が割り当てられている。その区画のさらに小さな一画に、古代のためにテロン様式の居住区画が作られた。古代はそこを『自宅』と呼んで暮らし、デスラーもまた自らの私室には帰らずにその部屋へ必ず『帰宅』するようになっていた。朝、この部屋の寝室で起きて、仕事を終えるとこの部屋に帰り、同じベッドで眠る二人のサイクル。この部屋に帰れば、いつだって古代がいてくれる。途方もなく広大な孤独の内殿の小さな片隅にようやくできた心の安らぐ場所だった。
「待つとするか……」
デスラーは肩を竦めて微笑んだ。少し待てば、君は帰ってきてくれるだろう。
古代が帰ってくるまでとはいえ、この部屋でデスラーがひとりで過ごすのは初めてのことだ。いつもいるはずの伴侶がいない空間は静かで寂しいものだが、臣下や侍従が取り巻く日常の中で、本当にひとりだけの時間というのは貴重だとも思う。
誰も見ていないのをいいことに、デスラーは古代が時折しているように大きく腕を伸ばして伸びをする。首を左右に傾けるとポキポキと音がした。
居室に侍る侍女たちが総統衣を取り除き、デスラーは古代の部屋で過ごすために気楽な私服スタイルだ。軽やかに着こなしているように見えて、実はあのマントは意外と重い。豪奢な黄金の留め金の重みも相まって肩が凝る。黒のブーツに詰めていた両脚も、テロンの慣習に則(のっと)ってこの部屋ではソックスのみ。軍靴から解放された足はとてものびのびとしている。正直言って、総統やるのも楽じゃない。
「おや?」
デスラーは切れ長の眼差しをパチッと嬉しそうに見開いた。
リビングの机の上に愛する妻からのメモを発見。
『冷蔵庫にプリンがあるよ』
「さすが私のエンジェル」
メモを手に取り、デスラーは愛おしげにクスリと微笑む。
まるで学校から帰ってきた子供のために、おやつを用意してくれていた母親のようだ。先に帰宅する夫のために、さりげなく温かな愛情を残しておくのが古代らしい。ちゅっとメモにキスをしてから、いそいそと弾む足取りでキッチンへ。冷蔵庫と相対し、「開城……」と茶目っ気に呟きながら白い扉に収められた冷気をゆっくりと解き放つ。
この部屋で古代と生活するようになって、デスラーは世俗の生活というものが少しずつわかるようになってきていた。実のところ、冷蔵庫なんてものは使用人の調理場にあるもので、この生活を営むまでは開けたことはおろか触れたことすらなかった。名家の生まれとはそういうものだった。使用人に囲まれた貴族の生活をしていたデスラーにとって、『庶民の暮らし』というものは初体験である。
古代はデスラーがすぐわかるところに置いてくれていた。背丈のあるデスラーの目線にすぐ留まる棚。大きなプリンのカップがちょこんと置いてある。
「えっと、皿は……」
プリンを悠々と手に収め、今度は食器棚へ足先を向けた。
今までの貴族たる日常であれば、何もせずに座っているだけで侍従たちがすべて支度してくれた。椅子に座れば杯に美酒が注がれ、立っているだけで身支度をされ、浴場に入れば金髪の風呂男が身体を綺麗に洗ってくれる。
しかし、ここでは基本的に自分のことは自分でしなければならない。何者も立ち入れない夫婦だけの暮らしができるように、新居には侍従や侍女は入室禁止としていた。臣下ですら足を踏み入れることはできない。完全な夫婦だけのプライベート空間。結婚で手に入れられた幸せな暮らしだった。
その甲斐もあって、デスラーは少しずつ自分で身の回りのことができるようになってきていた。これまでも、自分のことは自分でしたいと思っていたものを侍従たちの職権を侵害しないようにしていただけだ。身体を動かさないと退屈で仕方が無い。古代との生活の中では自分の好きなように動けるから、心も身体ものびのびとできた。
ぷっちん。
プラスチック容器の底にある突起を折ると、中のプリンが皿につるりと着地した。衝撃にプルプルと揺れ、ほろ苦いキャラメルと卵の香りがリビングのテーブルに甘く広がった。テロンからわざわざ古代が取り寄せてくれたスウィーツ。この舌をとろかす美味しさゆえに、テロンでは個人の所有意識が非常に高い嗜好品と知られ、自分のプリンを他者に食べられるとすぐさま戦争が勃発するとのこと。そう聞くと物騒な代物だが、それほどに人間が本能的に求める魅力が詰まっている。
そのことを思い出しながら、パクリと口にする。
――デスラー、どう?
記憶の古代が尋ねてくれた。卵の柔らかな甘みが口腔でとろりと溶けて、味覚に恍惚と染み渡る。しかし、私はあの時のように「美味しい」とは口にできなかった。
「君がいないと……」
ポツリと呟いてうなだれる。
この間は古代と一緒に食べた。故郷のお菓子を久しぶりに食べられて微笑む古代が、すぐ目の前にあった。それを私と一緒に共有できる喜びに頬を上気させながら、プリンを口に含んでいく私を慈愛の眼差しで見守ってくれていた。至福のひとときだった。たったひとりで食べても、あの時の幸せは胸には広がらなかった。
古代は遅くなるだろうか……。
帰宅してから十五分も経っていないのに、すでにデスラーは伴侶の帰りが待ち遠しくなっていた。古代がいないと、落ち着くはずの部屋も落ち着かない。プリンを食べ終わった後の食器をキッチンに運びながら、あまりにも遅くなるようなら迎えに行こうかと考える。と、食器を置こうとしたシンクにはすでに洗い物が溜まっているのに気が付いた。
早朝から閣議があったため、デスラーは先に仕事へ赴いていた。古代はその後から慌ただしく出たのだろう。朝食で使われた食器は水に浸してあるだけで手つかずだった。疲れて帰ってきてから片付けるのも苦だろう。
「うむ」
デスラーは腕まくりをして、ひとつ得意げに頷いた。いつもは食事の後始末も古代に任せてしまっている。夫としてこのぐらいできるようにしておこう。そうすれば、古代は喜んでくれるだろうし、彼との時間がもっと増える。
夫婦として円満な生活を営むためにも、『家事』というものに挑戦する意欲をデスラーは見せ始めていた。ここで生活しているのは、高貴なる生まれのデスラー総統閣下ではなく、アベルトという人間だ。デスラー家に嫁いだ古代が高貴な身分なるものを学ばなければならないのと同じように、デスラー自身もまた古代が生きてきた庶民の暮らしというものを学ばなくてはならないと考えていた。厳しく自己評価を下してしまえば、私は指導者としてしか能が無い。何でも妻に任せっきりで生活力のない男などだらしがなくて、私の目から見ても願い下げだ。この星で生きていこうとする古代の負担を増やさないように、ちゃんと二人で生活を営んでいきたい。
古代がやっていた手順を思い返し、慣れない手つきでデスラーはシンクのスポンジを手に取った。洗剤が入った容器を逆さにして、スポンジにつけようとする。
「………ん? ……あれ?」
しかし、逆さに振っても洗剤は一向に出てこない。少しして、先端のノズルを回転させると開閉ができると理解したが、どろっとした溶剤は少量しかスポンジに出てこない。洗い物の数は少なくその量だけで十分なのだが、デスラーにはいかんせん洗剤の適量がわからない。
眉根を寄せたデスラーは、ついに思いあまってノズルの蓋を力尽くでブチッと取った。これでよし。スポンジに容器を傾けると、案の定ドバッと中の洗剤が流出。ドロドロに洗剤に塗れたスポンジと、空っぽになった容器を見比べてしばし黙考するも、目的を果たせればいいかと細かいことは気にせずに皿を洗い始めた。ガミラス国家を陽気にハミングしながら、不器用な手つきながらも食器を洗っていく。どのぐらい洗えばいいかの目安もわからないので、ひとつひとつに丹念に時間をかけた。
ところが、大放出の洗剤でシンクがどんどん泡だらけになっていく。デスラーは気にも留めずに手を動かしていたが、手許はすっかり泡風呂になったばかりか、モコモコと入道雲のように盛り上がった泡がやがてシンクから溢れて床に流れ落ち始めた。キッチンが泡だらけになり、フローラルな洗剤の香りが充満した。
「う、うむぅ……」
事態をやっと認識したデスラーは困った唸り声で眉根を垂らした。慌てて水道で食器から洗剤を落としながらシンクの泡も流してしまおうと格闘するが、大量に溜まった泡はなかなか流れてくれない。皿は洗えたが、今度はキッチンが泡風呂になってしまった。手近にあった布巾で飛び散った泡を掃除しようしたが、綺麗に除去できたとは言い難かった。頬や衣服に泡をつけたデスラーは気まずそうに途方に暮れた。古代を助けるために行ったことが、かえって彼の手を煩わせてしまう結果になった。家事とは簡単そうに見えて、意外とテクニックがいるものだ。そして、非常に手間が掛かる……。
そう悟りを得たデスラーは、今の自分が何かやろうとしても余計に事態を悪化させてしまう予感を賢明に覚えた。古代が帰ってきてから掃除のやり方を聞こう。未だモコモコと泡風呂のシンクに為す術無く、後ろめたい思いを残しながらもいったんは保留にしてキッチンを後にする。庶民の生活もまだ初心者。失敗もあるが、古代のように少しずつ学んでいきたい。
ワインでも飲んで待とう。
公務の最中も何本もボトルを空けたが、気を紛らわすために三度口にしようと思い直す。プリンを食べた後ではあるが、実のところ口寂しい。あの可愛い口唇に半日以上キスできず、本能的な欲求が疼き始めていた。
侍従に連絡し、玄関口でボトルが数本入った瀟洒(しょうしゃ)なカゴを受け取る。総統専用のワインセラーに入っていたもので、しっかり冷えていた。ボトルをクリスタルのグラスに傾け、ソファーで長い足を組んで余裕に充ちた態度でグラスを傾ける。
あと少しの辛抱だと自分に言い聞かせる。
あと少し我慢すれば、あの可愛いひとは帰ってきてくれるだろう。
あと少し、あと少し………。
―――三十分後。
「遅い……」
デスラーは限界まで痺れを切らしていた。
すでにボトルを三本空け、すっかり酒を飲む気も失せた。腕を組み、人差し指が苛立たしげにタップを加速していく。眉間に刻んだシワはますます深く険しくなっていく。
いつものこの時間なら、もう古代は自分の腕の中にあった。帰宅してすぐに、あの可愛い顔に「ただいま」のキスをたくさんして、ぎゅっと彼を抱きしめる。気恥ずかしそうに微笑む彼が「おかえり」と言ってくれて、その腕で私をぎゅっと抱きしめ返してくれるのだ。その瞬間、自分の帰りを待っていてくれるひとがいるということに、温かなものが胸を一杯に満たした。自分が大切にされているという実感と共に、このひとを幸せにしなければという思いを強く抱くのだった。
ただでさえ、古代と二人きりの時間は貴重だ。お互いに職務に忙殺されて、酷い時には深夜のベッドでようやく寝顔を見られるだけの日もある。勉学のためとはいえ、これほど長い時間、私から古代を取り上げるとは一体どういうことだね?
すっかり持病となった『古代欠乏症』が心を急き立てる。耐えかねたイライラが良からぬ想像を巻き起こしていく。
――……まさか、教師たちに厳しくしごかれているのか?
デスラーは思わず立ち上がった。
古代には副総統が推挙した優秀な者たちを教師につけている。しかし、異星の青年を総統妃として育て上げねばならない重責に、彼らは相当なプレッシャーを覚えていると聞く。その焦りから、非常に厳しい教育を古代に課しているのではないか。
デスラーの脳裡に、幼少の頃から自分自身が受けた『指導者教育』という名を免罪符にした虐待の数々が駆け抜ける。常に完璧が求められた教育。冷厳な叔父を恐れ、教師たちは完璧なお人形を作るのに躍起になっていた。すべてにおいて厳しい監視の目がつきまとい、個人の言動は細かな点にいたるまで矯正される。できないことはできるようになるまで、教師たちが満足するまで血反吐吐くまでやらされた。人間として扱われなかった。
自分自身の残酷な経験が、古代に重ね合わせられる。長い時間拘束され、教師からの容赦ない非情な言動に耐えながら、針のむしろにいるような教育を受けさせられる。どんなに辛くても、古代は泣き言は口にしない。責任感が強い彼は、自身が得た役割のために必死に頑張ろうとするだろう。補習が終わるまで辛い思いを必死に耐えている古代の姿が、まざまざと頭を支配した。まなじりが怒りで吊り上がった。
――彼を私と同じ目に合わせてたまるか。
デスラーは猛然と玄関へ突き進んだ。その形相を見れば、臣下たちはたちまち恐怖で凍り付いてしまうだろう。怒りを孕んだ眼差しが真っ直ぐに、新居と外界を隔てるドアを射貫く。
最初から迎えに行けば良かった。そうすれば、彼に辛い思いをさせずに済んだ。勉学は大切とはいえ、古代を苦しめるものであるならば必要ない。
デスラーの手が憤然とドアノブに手を掛けた。
―――その時、懐の端末が鳴り出した。
「!」
ハッとして、デスラーは端末を手にした。
メッセージの着信。
『デスラー、遅くなってごめん。わからないとこだらけで、先生にたくさん質問聞いてもらってる。もうちょっとしたら帰るから』
「……………」
デスラーは古代からのメッセージをじっと無言で凝視した。数度、目で読み返し、足がふらりと踵を返した。部屋へ戻り、三分前に威勢良く立ち去ったソファーに再び座り込む。
古代の言葉が高ぶった怒りを萎(しぼ)ませていた。文面の様子から古代が非情に扱われている様子はうかがえない。それどころか教師は講義中にも関わらず、古代にメッセージを送るのを許してくれたようだった。
「私は何をしているのか……」
古代を心配するあまり、早合点した自分自身にデスラーの口端から苦笑とも自嘲ともつかないものが漏れた。こんなに我慢できない男だっただろうか。闇雲に不安に振り回されるような男だっただろうか。
ソファーに横になり、柔らかなクッションに頭を沈ませる。長い足がソファーからはみ出しそうになって、心持ち膝を曲げた。所在なさげにローテーブルに置かれたリモコンを手に取って、テレビをつけてみる。夕方のニュース番組、有名俳優のドキュメンタリー、一昔前に流行ったドラマの再放送、映画の広報番組―――、当てもなく適当にチャンネルを変えていく。仕事中の自分を見たくなかったので政治番組はさっさと切り替える。最新のトレンドを紹介する情報番組、若い女性アナウンサーが流行りのお菓子や観光スポットを紹介している。思考は働かず、ただ、ぼうとそれを見た。クッションからは古代の香りがした。頬をすり寄せて鼻をうずめると、ことさら切ない慕情が込み上げてくる。
デスラーが帰ってきた時、古代はテレビをつけっぱなしにしてソファーで眠っていることがあった。疲れていたのだろう。今までそう思っていたが、もしかしたら私を待ちくたびれて眠ってしまっていたのかもしれない。この状況がその時の古代に当てはまるように思えてならない。彼を優しく起こすと、ぼんやりとした寝ぼけ眼で私をじっと見詰めてから、嬉しそうに笑ってくれた。
早く帰ってきて欲しい。愛おしさの分、焦れったくてたまらない。だからこそ帰りがとても心配になってくる。待つ側の気持ちが今までわからなかった。古代もいつもこんな気持ちで私を待っていてくれたのだろうか。
帰りが待ち遠しいひとがいるということ。今感じているこの焦れったさは、きっと得がたい特別な感情。大切なひとがいなければ、生涯感じることができなかったものだ。
ソファーの心地良さにうとうとし始める。目蓋が下がったり上がったり。私も彼のように眠って待ってもいいかもしれない。
ひとときの浅い眠りに落ちつつ、それでも私はこの後のことを予想できた。
私が眠った後、しばらくしてドアが開く音がするだろう。床を歩き、ソファーにやってきた足音がそこに眠る私を発見する。それからそっと頭や頬に触れて、笑いながら言ってくれるのだ。
「ただいま」
………優しい声に、デスラーはゆっくりと目を覚ました。
目蓋を数度瞬きさせて、ぼんやりと上を見上げる。
そして現実の乏しい感覚で思った。
ああ、待った甲斐があったね……。
愛するひとが、私の額にただいまのキスをしてくれた。
fin.