駆け込み寺や秘密基地がある、という事は良い事です。
いつもいつも、他人に自分を晒しておく必要はない。
悲しい時、辛い時、偽る事なくあるがままの自分でいられる場所がないと、息詰まってしまうから。
その時々で演じる事を覚えてしまうと、ヘラヘラ笑ってる自分と、光を恐れる自分と、魂が抜けてしまった自分と、擦り切れるまで頑張り続ける自分と、どれが本物だか分からなくなってしまう事があるけれど。
少女漫画や恋愛小説を読んで、胸がぎゆう、と痛むのは
同調してるからではない、と分かりました。
主人公は、愛しい人に会いたくて会いたくて、心を痛めて涙を流すけれど、私はその逆。
カラカラに心が乾き切っていることが分かるから、自分にないものを渇望して涙を流すのです。
涙を流す事は、弱い人のする事だと思ってました。
涙を流す事は、弱い人のする事だと思ってました。
しかし、必ずしもそうとは言えないと気付いたのです。
私は経験した事がなかったのです。
涙を流すほどの悔しさを。
涙を流すほどの悲しさを。
こうしてまた一つ、知ったのです。
自分の未熟さ、世の広さ。
次は何を知るのでしょう?
堪えきれない感情の。
いつまで過去に縛られていればいいの?
いつになったら開放されるかな?
逃げたい、逃げたい、見えないところへ、聞こえないところまで
言いたい事は沢山あるけれど
何一つ言葉にならないのは
みんなの事を気にしているから