話題:東日本大震災
これから書くことはわたしが1年間思い続けてきたことです。
わたしの黒く、暗く、歪んだ思いが書いてあります。
何考えてんだ、って思われる方も多いと思います。
でも、今日で1年。
区切りをつけるために、全部吐露しようと思います。
誹謗中傷、非難は受け付けません。
では、追記より。
2011年3月11日
わたしは何が起こったのかうまく理解出来ないままなんだか浮かれてた。
今まで体験したことのない揺れに、一応大事なものだけ手にして外に出た。
津波が来てたことなんか知らなかった。
電気も水も、すぐ通ると思ってた。
完全に考えが甘かった。
わたしの家は高台にあるから津波は来なかったし、わたしの周りの人で亡くなった人はいない。
近所の家に発電機があったから電気も使えたし、プロパンだからガスも使えた。
食べ物も温かいものが食べれた。
こんなにも恵まれた生活をしていた。
それなのに。
わたしは東北人で、宮城県民で、七ヶ浜町民。
“被災者”と扱われる。
わたしはそれがすごく居心地が悪かった。
家を失って避難所で生活をして、今も仮設で暮らしている人がたくさんいる。
近所の公園に仮設もある。
それに引き換えわたしは自分の部屋で、自分の布団で寝ている。
家族を、恋人を、友達を亡くした人がいる。
それでも懸命に生きている人がいる。
それに引き換えわたしは家族に不満を持ち、人間関係に不満を持っている。
こんなにも違う。
それなのにわたしなんかが“被災者”として扱われてもいいのだろうか。
確かに1ヶ月近くの不便な生活は強いられた。
電気もない、水もない。
でも、その生活をしたから“被災者”なのか。
わたしはテレビに出ているような、出ていなくても心に大きな傷を負った人のような気持ちにはなっていないし、その人の気持ちをわかってあげることが出来ない。
同じ“被災者”なのに?
わたしは“被災者”じゃないから、わかることが出来ない。
電車もなくてバスもなかった。
そんな不便な生活をしたから“被災者”なの?
なんて言ったらいいかわからない。
うまく言葉に出来ない。
わたしはこの1年あっという間で、だけど震災の日はすごく昔のことのように思う。
これはわたしからこの震災が薄れていっているからなんじゃないかと不安に思う。
わたしは被災地にいながら、どこか他人事のように感じている。
だって今だって震災前と同じ生活をしているから。
わたしはテレビで震災の番組を見る度、悲しさと共に申し訳なさが込み上げてくる。
そんなことを1年間ずっと考えていた。
まとまらないこの感じ。
言葉にしたからといってすっきりするわけでもないけど、どう考えていたかを残したくて書きました。