男が女を捨てる覚悟を決めるときっていったいいつなんでしょう。この女はだめだ、と心から思うときっていつなんでしょう。女はね、なかなか捨てられないものなんですきっと。男を愛している自分を愛してやまないから。でも、男はもっと違う意味合いで女を捨てないものでしょう。捨てられないんじゃなくて、確固たる意思を持って捨てないのでしょう?長い間連れ添って情がわいて、それでもどうしようもないほどに女を重苦しく感じてしまうのってどんなときなんでしょう。
そんなことを、太宰さんの姥捨を読みながら考えたのでした。
最近変えてなかったのでプロフ画を変えてみました。誕生日にいただいたお気に入りのお靴。
最近は節約のために朝晩、地下鉄四駅分、30分歩いていてヒールのあるかわいらしい靴を履けないのでさびしいです。
冬は自分を愛しく思いすぎるのでいけない。
生活はそこそこです。今月は遠くで結婚式があるのでお金がやっぱり貯まりません。お洋服を買うのも我慢していたら、彼が買ってあげようと言ってくれました。その気持ちだけでうれしいです。職場は環境が変わって少し精神的に大変になりました。それでも感謝の気持ちを忘れず穏やかに過ごそうと思います。
ほんの少し私は憂鬱に焦がれている。
それが絶望だと気付いたのは今朝のことだった。
昔から気分が塞ぎ始めると必ず姿を表すその影。私の耳に嫌なことばかりを吹き込んでくる。
もういいから、消えろよ。
何度そう言っても意味なんてなくて、そいつは私の周りをうろついている。
今朝も耳たぶまでマフラーにうずめた私の耳元で囁いていて、顔を見てやろうと鏡を取り出すと、そこにいたのは案の定私で、そのことに気付いたと同時に、ずっと不思議に思っていた絶望の顔が自分であることを知った。
絶望は絶望できれいなお洋服を着て踊っているのだ。
就職活動をしていた妹が第一希望だった地元の市役所に受かりました。よかった。本当に。私みたいにならなくて本当によかった。なにが正解なのかなんて誰にもわからないけど、彼女のこれからが幸せでありますように。
昨日、一つ歳をとりました。家族からも職場の方々からもお祝いをしていただけて、友達からも電話をもらえたり、ツイッターで祝ってもらえたり、私ってホントにしあわせもの。
みなさま、本当にありがとう。ありがとう。
この歳になって、道端で突然動けなくなったりはあまりしなくなりました。
わたしは高校生だったあの頃、もう一歩も歩けないと心底絶望していた。
手にした学校指定の冴えない鞄は参考書でばかみたいに膨らんでいて、少しでも丈が短くなるようウエストの部分を何重にも折ったスカートはお腹に食い込むようだった。
せめてもの反抗に左手首にじゃらじゃらとつけたアクセサリーはリストカットのせいで血にまみれていたし、空も山も灰色で濁って見えた。
さいわい、手首の傷は誰にもバレずにここまできた。これからもバレることはないだろう。
わたしも自分の傷のことを思い出すことは極端に少なくなった。
あれから、もう十年経つのだ。
生きてきた実感と、生きていく覚悟を、ちゃんと持っていたいと思う。
ここのところは、よく、生きてるのっていいなって思ってます。
誕生日