祖母は二人いる。
ばーばと、ふーちゃん。
祖父は一人しかいない。
じーじ。
私の思い出話です。
仕事がひまなので書いてみます。
じーじの奥さんはふーちゃんと言って、きれいな人だ。
週末には二つも離れた県からやって来て、お寿司を食べさせてくれる。
夏休みに電車に乗って行くと、うちとは全然違う天日干しの良い匂いのする布団を敷いて待っててくれる。
「ふーちゃんの家に着いたよ。」小学生の夏が始まって、ふーちゃんの家に着いた私は母親に電話をした。
電話を切ると、じーじがいて「じーじの家」と私に言った。
じーじは怒る。
マナーが悪いと怒るし、乱暴なことをしても怒る。
でも、本当はしかってるだけだった。
母は祖父が好きだった。
私の生まれる春か昔っから、どこに行くにも祖父と組んで歩いていた、
深夜まで経済や、芸術や、人生感や本について、とにかく色んな事を語り合ったと言う。
博学で、先見の明があって、おしゃれで、品格がある。「お母さんはね、生まれ変わってもまたじーじとふーちゃんの子供に生まれたいの」と母はよく私に言う。
じーじはおいしいものをよく知っていた。
私はCCレモンが好きだった。
炭酸の効いたレモンのジュースで、口内炎があるときはストローを挿して飲んだ。
普段、買い物はふーちゃんと行ってたけれど、その日はじーじと行った。
じーじが、いつも入るコンビ二の前を通り過ぎた。
「じーじ。ここだよ。」といったら「あっちのCCレモンの方が美味しいんだよ。」と言った。
私は本当なんだと思っていつもより少しだけ遠いコンビニに手を繋いで着いていった。
どこのジュースもおんなじだと知ったのは、東京の家に着いてからで、
母にこの話をすると「お父さんがそんなことを言うなんて」と笑った。
いまだに笑う。
祖父との思い出はそのくらいだ。
じーじは少し怖いけど、悪い人じゃないと知っていた。
なにを話したらいいのか分からないけど、私のおじいちゃんなんだと知っていた。
その祖父が死んだのは私が5年生のときで、8月の終戦記念日だった。
病院には毎週行った。
母は毎日通った。
病室で、父が私に「足をさすってやりなさい」と言った。
痛くないように、さすった。でも、正直どうしたらいいのか分からなかった。
いつまでさすればいいのか、何を言えばいいのか、母の顔をどういう風にみればいいのか。
兄弟はジュースを飲みに病室から離れた。私もジュースが飲みたかった。
「じーじ、またくるからね。ちょっと向こうに行くね。」
「本当に戻るからね、またね。」
炭酸のジュースを飲んだ。
ジュースを買うとおまけでイルカの飾の着いたマドラーがついてくる。
ジュースを飲んでいたら、父が「かえるぞ」と言った。
その日私は車に乗って家に帰った。
私は後悔した。
私のたった一人の祖父が、その夜に死んだ。
またね。と言った私はただジュースが飲みたかった。
苦しそうなじーじの傍にいるのが嫌だった。
もっと元気になったら、もっと会えば良い。そう思っていた。
祖父は私に算数を教えてくれたことがある。
50円玉や、1円を使って、足し算と引き算のドリルを何ページかやった。
宿題が終わったとき、使った10円玉も50円玉も全部私にくれて、じーじは太っ腹だ、と喜んだ。よく覚えてる。
帰り際、じーじは母に「あの子は馬鹿じゃないよ。」と言ったらしい。
これは少し大きくなってから、母から教えてもらったことだった。
私は小さいころから自分が怠け者なのを知っていて「馬鹿なんだ」とも思っていた。
自分じゃどうしようもないけれど、心のなかでいつも一人つぶやく言葉だった。
小さな渦の中から、救い上げてくれるような言葉だった。
じーじはどうして分かったんだろうかと、涙が止まらなかった。
勉強ができなくとも、馬鹿なことはしまいとも思った。
あの祖父がそう言ってくれた言葉を汚したくはないと思った。
馬鹿なことをしそうになる自分を救ってくれる言葉ってあるよね。