もはや沈黙しか残らぬ室内に最後まで残っていたのは、ルイとアンリである。
双方共に何やら考え込むような顔で、会議が始まった時と同じ姿勢のまま暫く微動だにしなかった。
呼吸すらも、室内を漂う沈黙が食らってしまい、そのまま二人までも飲み込んでしまいそうだった。
だが、沈黙に囚われる前に、アンリがそれを破壊した。
「局長、宜しかったのですか」
「……えぇ、構いませんよ。後で、報告書として総統に出すまでです」
「ですが、この場での発言であるからこそ、“あれ”は重みを増すものかと」
「枢密卿が早急に会議を切り上げたのですから、仕方がないでしょう」
アンリは依然として不服そうな眼差しを送るが、諦めて彼の言うことに従ったらしく、一つ首肯した。
口元を弧に描くと、ルイは漸く立ち上がった。
軽く首と肩を回して、緩やかな出口へと歩き出す。
アンリもそれに倣い、更にルイより先回りすると扉を開いた。
そして開いた瞬間、顔には出さないまま、開けなければ良かったと後悔した。
「よぉ、機械野郎。もう少し、人間らしい表情でも作ったらどうだ?」
「貴方には、関係ない」
「ガジェット局長、盗み聞きとはよいご趣味ですね」
いきり立つアンリの肩にルイが手を置いた。
アンリはそれ以上言葉を紡ぐのは止め身を引き、ルイより一歩下がる。
ガジェットの好奇の目が、布の向こうにあるルイの両眼を見た。
にやりと口角を持ち上げ、彼は口を開く。
「いやぁ、わりぃなぁ、ルイ。ちょっと腹が痛かったもんだから、此処で休んでてな。そしたらたまたまってわけよ」
「そうでしたか、では救護班を呼びましょうか。ドクター・ランディが、健康な人間をこないだから欲していましてね」
「ははっ冗談きついぜ、ルイ。俺とお前の仲じゃねぇかよ」
と言いつつ、ルイの腕を軽く叩こうとした手は、素早くアンリが突きつけたダガーナイフにより阻まれた。
ガジェットの目線が、ちらりと無機質な顔をした男へ注がれる。
「触るなってのかい、え?」
「我々は貴方と油を売ってる暇はない」
「ひでぇ言い草だ、枢密卿のこと邪魔に思ってる割に、お前はあいつと気が合いそうだな」
「生憎ですが、いくら挑発しても、貴方が欲しいものは出ません」
「何かい、俺がそんな物欲しそうに見えるってのかい」
「ガジェット局長、いいことを教えてあげましょう」
いよいよもってして、ガジェットをこの世から切り離しそうなアンリを制し、ルイが口を開いた。
よろしいですか、と前置きをしてから。
「必要以上に嗅ぎ回ると、身を滅ぼすこともあります」
「ご忠告どうも、だが俺には関係ないね」
「……貴方は、ご自分の立場が余程分かっていないらしい」
やれやれと首を左右に振ると、アンリをやや振り返った。
それが合図だった、とでもいうように、副局長の左手が閃いた。
「、っ!?」
白刃が、ガジェットの頬を抉り取った。
ぱっと裂けた傷口から、みるみるうちに赤い鮮血が浮き上がる。
一瞬、両目を見開いたが、すぐに笑いを浮かべた。
若干傷口が痛むらしく、歪な笑みではあるが。
「そういうことかい、あんたも怖いことする野郎だ」
「おやおや、それを教えてくれたのは、貴方ですよ?」
「!」
ルイの右手が、ガジェットの顔を鷲掴みした。
覆い隠された目が、獲物の目を覗き込む。
上品な笑みを浮かべる口が、毒蛇の如く開かれた。
「ただでさえ盲目となり絶望した私を、更に貴方は地獄の底まで突き落とした」
「おいおい、今更恨み言かよ」
「いいえ、感謝を述べているのですよ。貴方のおかげで、私は今の地位を与えられたのですから」
謝辞を述べているが、決して本心からでないのは、その場にいた者ならば、誰でも感じ取れたろう。
ガジェットは、今度こそ口を挟まなかった。
ルイは暫くそんなガジェットを真顔で見ていたが、やがて興味をなくしたかのように、手を離した。
「ガジェット、いずれ分かることです。私はその判断を総統に任せたい、それだけです。ですから、今回は諦めて下さいね」
「……言われなくても、そうするさ」
「貴方がその程度に物分かりがよくて助かりました。アンリ、行きますよ」
最後にとびきりの微笑みを向けると、くるりと背を向け歩き出した。
アンリは暫くガジェットを睨んでいたが、ルイが角を曲がる前には追い付こうと走り出した。
全異端管理局の人間がいなくなった廊下で、ガジェットは頬を伝う血を拳で拭い、忌々しそうに舌打ちを一つした。