廊下の突き当たりに古めかしい扉があり、そこを開けると奈落の底に続くような階段がある。
階段を深く下るに従って、灯りと灯りの間が乏しくなっていく。
地上は夏の陽気だというのに、この地下では肌寒ささえ感じた。
ぶるりと薄手の生地の上から、腕を撫でながらボニーは下りていく。
その後ろにはガジェットが付いてきており、先程からやたら彼女に話しかけてくる。
やや前傾姿勢になりつつ、ボニーの耳元近くで、
「にしても、あんたも大変だったな。あの目隠し野郎にあんなこてんぱんに言われちまってよぉ」
「……そういう貴方も、そうみたいね」
「俺は悪かねぇさ、あの野郎がなーんか隠し事してやがるのが、気に食わねぇってだけでな」
「貴方、諜報局に異動したら?」
「冗談!」
にやりと背後で笑ったような気配を感じ、ボニーはなんとなくこの男を殴りたくなった。
が、それを堪えられたのは、漸く底が見えたからだ。
やっと着いたと安堵したが、それはすぐさま警戒へと変わった。
尚も大きな声で話し掛けるガジェットを、彼女は肘鉄をお見舞いして黙らせた。
「ってぇ、なんなん……」
「ガジェット局長、あれは何?」
小声で口早に尋ねてきた彼女に、ガジェットは眉根を寄せた。
その理由を察したボニーが脇に退くと、彼女が尋ねた物の正体が見えた。
見た瞬間、ガジェットは鳩尾の痛みを忘れ去ってしまった。
「おいおい、マジかよ……」
階段の終わりに、血塗れの人間が倒れている。
服装から察するに、この地下の担当者だろう。
助かろうと必死に手を伸ばしたのだろうが、途中で力尽きたようにだらりと落ちている。
この世界に来てから何度も死人は見てきたガジェットにとっては、これは慣れっこのものだ。
だが、見た瞬間、久々になんともいえない怖気を感じた。
固唾を飲みながら、ガジェットはボニーを振り返った。
「……俺の考えじゃ、他の奴らも御陀仏してると思うんだが」
「私も同じですわ」
どうやら上に連絡を入れたらしいボニーが、ぱしんと携帯を閉じて同意した。
それから二人は一度だけ目配せすると、護身用の銃を取り出してから階段を下りた。
死体を乗り越えた先には道はなく、左右に広がっている。
右手は拷問室へ繋がっており、左手は独房に続いている。
先行して下りたガジェットが右方向へ走ったため、ボニーは反対側へ向かった。
本来なら、片方がどちらかの援護をするため二人一組が望ましいが、今回は人数が不足のため致し方ない。
上への通路は一つだが、二人が同じ場所を哨戒している間に、もう一方から逃亡されるのは御免なのである。
(……何て臭いですの)
息を殺しながら、ボニーは独房と廊下を仕切る扉を観察する。
扉は外側から閂を掛けるもので、今はそれが抜かれている。
そして、僅かに開いた扉から、埃臭さよりも鉄臭いものがより濃く鼻孔を貫いた。
この扉の開閉は、多分階段で倒れていた職員がしていたのだろう。
もしも異常を察したのなら、こんな開け放したままにはしない。
だとしたら開けたのは部外者であり、職員は部外者を止めることが出来ずに殺されたのだろう。
(いったい何者ですの……)
此処に勤務する者が、そんな簡単に殺されるはずもないのだ。
すぅっと息を吸うと、まだいるかもしれない敵に対し、己の警戒レベルを最大限に引き上げる。
ぴん、と空気が張り詰めた刹那──
「動くな!……!?」
鋭く叫び勢い良くボニーは入ったが、すぐさまその場に広がった光景に目を疑った。
室内の灯りはなく廊下から漏れる灯りのみが頼りだったが、床に折り重なる人間全てが一目で死んでいるとが分かった。
全員が首の断面をこちらに向けているのだ。
それらはボニーの不快感を誘うには十分なほどで、しかし彼女の注意はほんの一瞬だ。
インパクトのあるものを前にしたとき、人間はその一瞬に隙が出来る。
その時を狙われたら、手も足も出ない。
素早く左右に銃を向け警戒する。
物音一つしないことを確認してボニーは銃を下ろし、入口の松明を一つ手に取ると更に中へと踏み込んだ。
独房全ての扉が開かれており、ボニーは一つひとつそれらを確認したが、首なし死体と夥しい血液以外、何も異常がなかった。
あるとすれば、頭が何処へ消えたのかというくらいだ。
それは後から来た者に任せればいい、今はこの殺害現場を作り出した輩を見つけ出すだけだ。
一通り見渡して、もう此処に用がないとボニーは頷くと、その場を後にした。