──アンソニー邸
ユリアとヤスは、再びあのチェス盤模様の部屋に通され、そこで二人はもてなしを受けていた。
もてなしといっても、豪勢な食事などではなく、アンソニーが言った通り本当にささやかなものだった。
それでも、普段の食事に比べると断絶贅沢だと、ヤスは心底思った。
満月の色を呈するスープは湯気とともに食欲を誘う薫りを立ち上らせていたし、ダイナ特製だという海の幸がたっぷりのスパゲティは見た目からして美味しそうだった。
小さな器に盛られたサラダも、この料理の色彩を鮮やかに引き立てている。
「すごいっすね、この料理!」
「当たり前だ。ダイナが作るものが駄目なわけなかろう……ダイナ、君も座りなさい」
目を爛々とさせ料理を端から端まで舐めるように見るヤスに、ダイナに座るよう指示しながら、やや自慢気にアンソニーが答えた。
その様子を見て、ユリアは微笑ましくアンソニーを見やった。
先刻前に見た、アンソニーとダイナの深い信頼関係は、心が穏やかさに包み込まれるようだった。
同じように主とその吸血鬼の関係であっても、儀式屋とJにはそうした関係性が見られないのだ。
上手く言えないのだが、信用していても信頼はしていない、というのがしっくりくるのである。
それでも何とか関係は保たれているからいいのだが。
ダイナが席に着いたところで、アンソニーはどうぞ、とユリアたちに食べるよう促した。
ヤスがやたらと威勢良くいただきますと言ったのに、ユリアは少し吹き出した。
それから、自分も同様の言葉を口にして、目の前に並ぶ料理を口に運んだ。
途端に、ユリアの黒曜石の瞳がまん丸になった。
「美味しい……!」
「お口に合いましたか?」
「はいっ。ダイナさんは、とてもお料理がお上手なんですね」
にぱっと効果音でも付きそうな笑顔を浮かべて、ユリアはダイナへそう答えた。
色白の吸血鬼は、ほんの少し口角を緩めてそれほどでも、と首を横に振った。
初見こそ、クールで感情の欠片すら見えなかったが、きちんと彼女にも心があるのだ。
それだけで、この白と黒に支配された世界も、ただの味気ないものではなくなる。
「しかしあれだな……まさか君のような輩とこうして食事をすることになるとは思わなかったよ」
不意に、アンソニーがそう口を開いた。
君のような、とはヤスのことで、スパゲティにがっついていた彼は、アンソニーからの視線を感じて顔を上げた。
口の周りがべたべたとしているのに多少アンソニーは眉を顰めたが、咳払いを一つしてから。
「君は、私を嫌っているからな。大人しく席に着くとは予想外だったよ」
「ちょ……な、何を言い出すんすか!俺はいつも通りっしょ!?」
「ほぅ……では、何かな。君はいつもいつも、そのお嬢さんの騎士か何かを気取っているということかな?」
糸のように細いエメラルドグリーンの目が、ヤスをからかうようにして弧を描いた。
そのお嬢さん、と指されたユリアはへっ?というように小首を傾げた。
そして、隣のヤスを見て少女は思わず持っていたスプーンを落としそうだった。
自分よりも年上でのっぽの男が、自分と変わらぬ程の年齢の男子のように見えたのだ。
頬を真っ赤に染め、ぷるぷると震えている。
それを見て館の主は、ふんっと勝ち誇ったかのように笑った。
「お嬢さん、そこの男はだね、本来はこの私に剣を向けるほど、私を嫌っているのだよ」
「えっ」
「だぁあああ!!違う違う違うっす!ユリアちゃん、真に受けないで下さいっすよ!?」
「はぁ…」
「何を言う、現にこないだ君は私に向けたではないか」
「あれは!あんたがいつも旦那の物を勝手に物色するもんっすから、警告の意を込めてっ」
「物色?ヤス、貴方はアンソニー様を侮辱するつもり?」
「えっ、や、ちがっ……ダイナさん!そんな目で俺を見ないで下さいっすよぉ」
双方から攻撃(もはや口撃と言った方が近いだろう)を受け、ヤスは泣きそうな顔である。
それを見てユリアは、我慢出来ずに声を上げて笑い出した。
そんなユリアに、ヤスはショックを受けたように眉を下げて少女を見やった。
「ユリアちゃんまで…ひどいっす……」
「ごめんなさいっ、だってヤスさん、可笑しくって」
「……まぁ、そんな笑ったユリアちゃん、初めて見れたからいいっすけど」
若干、困ったような笑ったような表情で、ヤスはそう呟いた。
その呟きを、またアンソニーが揚げ足を取るような形でからかい、ヤスが過剰に反応する。
そうして和やかに団欒の時は過ぎていった。